吉田文庫とは
 昭和初期の作家、随筆家、吉田絃二郎先生により修善寺小学校地内に文庫が建設、寄贈されました。
 この時、吉田先生が寄贈した書物が保管されています。
 この書物を保管している建物を「吉田文庫」と呼び、修善寺小学校の象徴として昔から親しまれています。
 吉田文庫のあゆみ
 昭和12年
10月
吉田絃二郎先生より修善寺小学校地内に文庫が建設される。この時、修禅寺の球学和尚が墨で「吉田文庫」と書いた板の額が贈られました。
  今も「吉田文庫」の入口につけられています。
 
     
昭和38年
10月
 修善寺小学校新校舎の完成し、吉田文庫移築のために取り壊される。 
昭和40年
11月
 移転に伴う吉田文庫の復元工事が完成する。 
平成13年
 3月
老朽化に伴う吉田文庫の修復工事が完成する。
 「吉田文庫修復を祝う会」を開催
 吉田絃二郎先生の略歴
明治1911
   24
佐賀県神埼町(昔の神碕郡西郷村)に生まれる。
本名は源二郎。父は栄作
(旧鍋島藩士、酒造業) 
明治32
  【
14歳】
佐賀工業学校金工科(現在の機械科)入学する。
明治36
  【
17歳】
同校を首席卒業、佐世保海軍工廠に勤務する。
明治381
  【
19歳】
上京し、早稲田大学第二高等予科に入学する。
明治399
20歳】12月
早稲田大学文学部英文科に入学する。
対馬要塞砲兵隊に入隊する(見習士官)。
明治42
23歳】
除隊後、早稲田大学に復学する。
明治447
25歳】
早稲田大学英文科を卒業逓信局嘱託となる。
大正3
28歳】
秋に明枝夫人と結婚。早稲田文学に処女作小説『磯ごよみ』を発表する。
大正47
29歳】
早稲田大学講師(イギリス文学) となる。
・・・・・大正時代の初めのころ修善寺温泉に神経痛の養生で訪れる。
菊屋旅館に宿泊。野田家の人々の交流がはじまる。・・・・・
大正77
32歳】
随筆集『小鳥の来る日』・・・ベストセラーとなる。
大正13
38歳】
早稲田大学教授となる。
昭和9
48
早稲田大学退官、作家活動に専念する。
昭和127
10
51歳】
妻 明枝没す。その遺骨は、多摩墓地、修善寺温泉を見下ろす塔の峰(鹿山)に埋葬される。
吉田文庫を寄贈。修善寺小学校地に建設。
この年と翌年に「吉田弦二郎撰集」全8巻を刊行。
・・・・数多くの小説、随筆、戯曲を発表・・・・・・・・・
昭和32
  
70歳】
少年少女小説『山はるかに』の最終篇が絶筆となる。
四月二十一日永眠。多摩墓地に明枝夫人、その横になつ女と共に眠る。修善寺町葬の礼を以って塔の峯へ葬る。
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